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宮崎勇 (軍人) : ウィキペディア日本語版
宮崎勇 (軍人)[みやざき いさむ]

宮崎 勇(みやざき いさむ、宮﨑 勇、1919年大正8年)10月5日 - 2012年平成24年)4月10日訃報・宮崎勇少尉(十一志・丙飛2期) 写真家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ 2012年4月10日閲覧〕)は、日本の海軍軍人。最終階級海軍少尉。太平洋戦争における撃墜王。
== 経歴 ==
1919年(大正8年)10月5日、広島県呉市呉海軍工廠勤務の父のもとに生まれた。小学校入学前に香川県に引っ越す。中学1年時に善通寺の練兵場で、アクロバット飛行ショーを見てから空に憧れるようになった。父の仕事や、海軍士官を父に持つ同級生の影響を受け、香川県立丸亀中学(現:丸亀高校)を3年で中退し、1936年(昭和11年)6月、佐世保海兵団に入団、四等水兵。11月15日、三等水兵。軍艦「磐手」に配属。1937年3月、「磐手」は練習艦隊として練習航海に入る。インド洋・スエズ運河経由によるフランスまでの遠洋航海も行い、後に宮崎は「若い時に貴重な体験ができて本当によかった。」と述壊している。1937年11月1日、二等水兵。1938年11月1日、一等水兵。1940年11月1日、三等兵曹。水兵として水上機母艦「千歳」、軽巡洋艦「長良」、砲艦「熱海」に乗組している。
上官の勧めで飛行予科練習生を受験し、1940年(昭和15年)11月28日、第2期丙種飛行予科練習生を拝命、第58期操縦練習生として土浦海軍航空隊に入隊。1941年1月15日、第12期飛行練習生として百里原空で初歩練教育、宇佐空で艦爆の実用機教育を受けた。1941年(昭和16年)11月29日、予科練を卒業し、横須賀空に配属。横空で戦闘機搭乗員に転科した。丸亀中学の先輩であり、南昌攻撃での片翼帰還で有名な樫村寛一一飛曹の列機となり、以後約一年間にわたって樫村に鍛えられた。1942年4月18日、ドーリットル空襲迎撃へ樫村の列機(一番機樫村一飛曹、二番機五日市末治二飛曹、三番機が宮崎三飛曹)として上がった。出発前に飛行長から「味方陸軍の双発戦闘機二機が飛行試験をしている」と注意を受け、また敵機は艦載機と思い込んでいたため、発見した敵の双発機(B-25)を日本機と誤認し見逃した。横空から転任する際、樫村から「日本一の横空でこそまだまだと思うかもしれんが、よそに行ったら誰にも負けん。自信持って行け。」等、励ましと実戦での注意を受けた。宮崎は「厳しかったけど、今生きているのは樫村さんのお陰です。」と述懐している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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